ずっと抱いていた疑問をそのままタイトルにした「悲しい曲の何が悲しいのか」という本を読みました。結論から言うと、何も解決しませんでした。

私は、かなり以前からiTunesで音楽をmp3で管理しています。だいたい2万曲近く、150 GBほどの音楽を保持しています。海外引っ越しにあたり、CDは全て捨てて(Bookoffに売って)全てをMP3化してきました。以後、購入もオンラインでMP3にしています。
そして、できる限りですが、パソコンが変わっても再生回数を保存しています。昔はCDで聴いていたり、iTunes登場以前かによく聴いていたり、iTunes語にもマシン移動で何度か失ったりしているものの、だいたい好きな曲と再生回数は比例関係にあると思われます。上位は286回再生。狂ったように聴いていた時期があった曲が上位を占めていますが、再生回数が100を超える曲が50曲ほどあり、再生回数が50−99回が250曲ほど。
なんと最上位はHipHopで、2,3位はDancehall Reggaeです。これは、2006-2010年あたり、勉強と仕事の両立に頭がおかしくなっていた頃の影響です。その後も再生回数ランキングは、主にHiphop、R&B、Electronicaが続き、初めて現れるクラシックがBrahmsのBallade, Op. 118 No. 3で、89回の再生です。交響曲の方がよく聴いているはずですが、昔CDで聴いていた頃が積算されていないのでこの曲が最上位に。そこからJazz、JPOP、Balearic、Dubstep、映画音楽などが現れます。
では、そのうちのどれほどが「悲しい曲」なのか。
昔よく聴いて悲しいと感じた曲は今はもうなんとも思わないこともあり、悲しいとは、歌詞が悲しいのか、音調が悲しいのか、この5年ほど、わからなくなっています。
そこで、再生回数が100回を超えてる曲に限って、聴きながら「悲しく感じるか」フラグを立ててみたところ、4割ほどが今も「悲しい」と感じる曲でした。そしてそのほとんどが、聴いた瞬間に歌詞の情景が浮かんでしまう歌詞も悲しい曲でした。以下はその一つ、Kate Bushが原曲のMaxwellによるカバーで原曲よりも世界観が再現されている曲です。
現在(といってもこの3年くらい)は、ただ1曲だけ、瞬間的に悲しく感じる曲があります。ベタですが何故か滅多に聴かない宇多田ヒカル。
これは、ひたすらに歌詞が悲しいタイプだと思うのです。
この人は、母親との複雑な関係を経て差し伸べた手も届かずに失ってしまった悲しみにずっとつきまとわれています。彼女の曲は全て、ラブソングのように聞こえて実は「あなた」や「君」を彼女の母親に置き換えると、すーーーっと入っていくる歌詞になっているんです。特に20代になってからの曲で顕著です。ただただ、母親を求めている曲だと思って聴くと、宇多田ヒカルの音楽は、実は大変悲しい楽曲ばかりなのです。その最たる例がこの「真夏の通り雨」という曲です。
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻
これは、私がよく見る夢そのものです。父親に会えるようで届くようで、今にも話せるような気もするのに、近くにいるような気がするのに、姿も見えない、もう少しで父親に届きそうだったのに、届かなかった鮮明な記憶が、目を覚ますと幻と消えてしまう。私も何度も何度も見ている夢です。
誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて
木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影
思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ
失った母親の姿を追い続けている曲です。
私もずっと父親と話せる日を求めてさまよっています。
「悲しい曲の何が悲しいのか」の答えは、私の場合はほぼ歌詞に頼っているようだということがわかりましたが、冒頭の「悲しい曲の何が悲しいのか」という本には、歌詞についてはほとんど触れられていません。私はほとんどのケースが歌詞が原因だと思うんだけど。
