「スイスで安楽死を行った日本人女性」に密着したNHKスペシャル 彼女は安楽死を選んだ

6月の初め、「スイスで安楽死を行った日本人女性」に密着したNHKスペシャルが放送されました。日本では許可されていない安楽死(医師が薬物によって医療処置として命を絶つ)を、多系統萎縮症という難病の女性が厳しい条件を満たす場合において安楽死を認めているスイスに渡航して安楽死を行うのに密着した番組でした。薬物を点滴に投与されてから、本当に亡くなるまでが放送されるというものでした。あの番組を見てから、書いては消して、書いては保存して、3ヶ月近くが経ってしまいました。

死ぬのが怖いかと聞かれると、怖くないかなぁとずっと思っています。思い残すことはいっぱいあるけど、結構がんばって生きたし、明日死ぬならそれはそれで仕方ない。しかし一方で、急に車に轢かれそうになる等、命の危険を感じると恐怖を感じると思います。たとえ自殺を考えながら歩いている人でも、信号を横断中に猛スピードで車が曲がってきたら来たら、やはり避けるのではないかなと思ったりします。死そのものよりも死ぬまでの苦しむ過程を恐れているのかもしれませんが、広義には本能的には誰しもが死を恐れているのだと思います。

本人の自由な意思を保ったまま(例えば末期ガンなどで延命処置・治療をせずホスピスなどで痛みのコントロールだけをして)死ぬのが尊厳死で、尊厳死を望みながらもそれを成し遂げることができそうにもない重病等によって心身ともに生きることが耐え難い苦痛を伴う非常に難しい事態に陥ることが確実な人が積極的な死を選ぶのが安楽死である、と理解しています。条件を満たす場合にのみ安楽死を認めているスイスでも、安楽死の導入に至るには長く真剣な国民的な議論があったのだそうです。

重病等により心身ともに生きることが非常に難しい事態とは?次第に身体能力と自我を失って行くような、例えばパーキンソン病やアルツハイマー病は?病でなくても、例えば最愛の人を突然、理由もなく突然殺害された苦しみによって生きる糧全てを失ってしまった場合は?あるいは、脳出血などで心身ともに死を選ぶこともその意思を示すことすらもできなくなってしまった人にとって、死とは?

このことを考える時、常に思い起こすのは、動かなくなった父のことです。私の高校受験の1週間前にくも膜下出血で倒れ、そのまま2年半をいわゆる植物状態で過ごし、私が高校3年生の時に亡くなりました。当時は、今ほどインフォームドコンセントが浸透しておらず、病院から延命処置についての家族への問い合わせも治療方針の説明もありませんでした。ただ、手術後の数日に交わした言葉だけが、最後になりました。なのに、それが何だったのか、今も思い出せません。「(病室に)携帯電話を持ってこい!」だったかもしれない。私の高校合格を知らぬまま、深い昏睡に入ってしまいました。

ここに、父が20代だった頃の日記があります。父は、生まれついて人生に恵まれない人でした。生まれた時から、全ての運に見放されたような人でした。大空襲で焼け野原になり、土地も財産も全て接収された一家に生まれました。戦後すぐ時代、物も電気もない家。お兄さんと一緒に、雪が舞う中、街灯の下に箱を置いて勉強して大阪一の公立進学校に入り常に成績は常に一番。けれども家が貧しくて大学に行けなかった人でした。高卒ながら破格の待遇で超有名企業に入るも、変わり者で偏屈者で曲がったことが許せない性格ゆえ、妥協の産物でできた大企業に馴染むことができず、半年で辞めてしまいました。それから自分で会社を興すまでの期間、父はパリに居たようです。もっとも、決して楽しい理由ではなかったようです。

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私が小学校に入学した時のお祝いは、「もう大人だから」という理由で万年筆とボールペンとシャーペンのセットでした。(小学校は万年筆どころか、シャーペンも禁止でしたけど。)

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父は私に1つの常識も教えてくれませんでした。巨人をを英語で言うとジャイアンツ、阪神を英語で言うとタイガース。光の手前には必ず影がある。ランドセルの色は何色でも構わない。(赤と黒が全盛の時代でした。)この回答はお前が正しいから先生が間違ってるって言ってこい。シューベルトの「冬の旅」を聴きなさい。嘘をついてはいけない。ただしお前のお母さんはちょっと頭がおかしい人なので彼女が理解できない時はまあいい。新聞には本当の事は書いていないけど参考にはなる。ピアノは弾けなくても、音楽を聴いたとおりに踊れれば良い。命を救うとしたら、動物よりも人間を選ぶべきだが、人間が動物よりも高等だと思ってはいけない。文学全集を読むなら「チャタレイ夫人の恋人」から読みなさい。お前もいつかダリの絵の良さがわかる日が来る。(まだ来ません。)

父は、手術後の数日間は意識があって、リハビリをすれば右半身の付随も乗り越えられると思っていました。「右手動かん。お前のと変えて!」と苛立ちながらも笑っていました。ところが、それから1週間ほどのうちに再び意識がなくなり、昏睡。手術は成功したはずなのに、原因はわからないままでした。それから2年半、話しかけてみても、近況を話してみても、もう2度と父が話すことも動くこともありませんでした。目を開いていても、こちらを見ているように思っても、それは錯覚ですから、と医師に言われました。耳も聞こえてないし、目も見えていないと、医師は言いました。こうして、父は、延命処置を断ることも、自分で死を選ぶという選択すらも失いました。

昼間は目を開けているんです。夜間は目を閉じて眠っているんです。時々、音や視野に反応するように見えるんです。時々、目があうように思うんです。でも、医師は、それは気のせいです、聞こえても見えてもいません、と言うんです。でも、もし、聞こえても、見えてもいて、声も出せない表情も出せない。ただ、永遠に出られない暗い箱の中にいるような状況だったら?それを1日でも早く終わらせたいと思いませんか?死ぬ権利を、行使したいと思いませんか?背中が痒くてもお腹が痛くてもこの暗い箱から出たくても、暗い箱の外には何も伝えることができないのです。まるで完全黒体のように。

高校の頃、何度か、夜中にベランダから家を抜け出して病院の前に立ち、呼吸器や栄養剤のチューブを抜いてみることを考えたことがありました。私だったら、そうしてほしいと思いました。もちろん、していません。犯罪だと知っていたから。

今の時代こそ、父が生きるべき時代でした。きっと面白いことをして、借金いっぱい作って、儲けたら慈善事業ばっかりして、でも、今の時代だったら生き抜けたんじゃないかなぁと思います。今、一番、話をしたいです。ただ、話したい。15分でいいので、話したいです。質問および伝達事項はまとめてあります。

あれからもう20数年、ずーーーっと同じことを考え続けています。医系小論文にて、この尊厳死と安楽死のテーマがどんぴしゃりで出てきたときは、書きなぐって出して最高点をもらいましたが、何を書いたか全く覚えていません。個人的には、他人の尊厳死も安楽死も支持しています。父の兄は、末期癌の最後をホスピスで延命治療をせずに過ごしました。いい選択だなと思いました。しっかりとした人権や個人の価値観を尊重するような土台も教育もない日本では、この先も安楽死の議論はほとんど進みそうにありません。でも、たとえば議論が進んだとして、身体的な「病気」の人に安楽死が認められて、精神的に生きる全てを失うような苦しみのある人(例えば犯罪被害に遭った人)や、もはや意思を示すこともできないけれどどう考えたって選択したいだろうという人に認められないのは不公平にならないのか、私には今も説明ができません。あの医系小論文を採点した人、正しい回答を教えて下さい。

話を戻すと、「彼女は安楽死を選んだ」というNHKスペシャル、安楽死を選ぶまでの葛藤もそうですが、死の瞬間まで放映するというすごい内容でした。とっくに再放送も終わっちゃいましたけど。

 

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