氷河のスキー場Kitzsteinhorn: 私が知らなかったこと(2000年のカプルーン ケーブルカー火災事故について)

オーストリアでスキー・スノーボードに一人で行くようになったのは2019年の後半からです。当時の私はまだまだおおかなびっくりで、一生懸命、あらゆるスキー場のコースマップや地形図を何度も確認しては、楽しそうなところを一つ一つ選んでいました。

2021年11月末、COVID19によるロックダウンが迫る中、選んだ行き先の一つがKitzsteinhornでした。氷河のスキー場であるため他のスキー場よりオープンが早く、ウィーンからはチロル州のスキー場ほど遠くもないこの場所、Kitzsteinhornは、それ以来シーズン初めにシーズンイン・あるいは団体でZell am Seeに行ったついでに足を伸ばす場所として何度も訪れてきました。標高の高い氷河の広がる景色が大好きになり、2025/2026シーズンも、10月中旬に初滑りをしたのもKitzsteinhorn。私にとって、いろんな思い出が詰まっている場所です。

も、今年の初滑りの翌週まで私が全く知らなかったことがありました。2000年のカプルーン ケーブルカー火災事故です。

2000年11月11日、ケーブルカー(Gletscherbahn 2)で火災事故があり、155人もの人が亡くなり、その中には10人もの日本人の方々が含まれていたのです。事故が起こったのは2000/2021冬シーズンのオープン初日でした。私はこのスキー場をKitzsteinhornと認識しているのですが、多くの記事では”Kaprun Disaster”として報道されています。Kaprunとは、Kitzsteinhornから車で10分ほどの麓の街の名前です。

死者計155人

  • オーストリア93人
  • ドイツ37人
  • 日本10人
  • アメリカ8人
  • スロベニア4人
  • オランダ2人
  • チェコ1人

私が事故のことを詳細にまとめるのは違うと思うので、詳細についてはブログ記事や取材記事に委ねたいと思います。事故の凄惨さ、これだけの人が亡くなったのに誰も罪に問われなかった裁判、世界中の遺族の方々の悔しい思いに震える内容です。そして、私はその場所で事故の翌年には建造された新しいゴンドラに乗り、既に撤去されていたケーブルカーの存在も知らず、何も知らずに2021年からこの場所で遊び続けていたのです。

一番詳しい日本語の記事「オーストリア ケーブルカー火災事故

英語Wikipedia

日本語Wikipedia

当時のBBC News

事故から10年後のドイツ語記事

ドイツ語記事

20年目のORF(オーストリア公共放送)記事

25年目のORF(オーストリア公共放送)記事


2025年現在、2つのゴンドラの乗り場と駐車場がある場所とほぼ同じに、ケーブルカーのベースステーションがあったようです。

下の写真(左)には、ケーブルカーGletscherbahn 2の線路とともに、事故当時には既にあったPanoramabahnというゴンドラ(1991年建造、929 mから1978 m)と思われる架線が見えています。ただ、想像ですが、時間あたりの運送量・所要時間、ゴンドラPanoramabahnの場合は次のゴンドラへの乗り換えも必要で時間もかかるということで、氷河エリアまで一気に上がれるGletscherbahn 2が重宝されていたのではないかと想像します。下の写真(右)は2025年11月現在の様子です。

ゴンドラPanoramabahnの脇に事故の翌年に建造されたGletscherjet 1(2001年建造、911 mから1978 m)があり、現在は、駐車場から2系統のゴンドラが1978 mまで乗客を運搬しています。

そこで次のゴンドラGletscherjet 2もしくはリフトLangwiedbahnに乗ると、AlpinCenterのある2400 mあたりまで上がることができます。そこから上が氷河エリアのスキーコースになっています。

当時、ケーブルカーGletscherbahn 2は、標高2400 m付近にあるAlpinCenterに直接つながっていました。トンネル内の火災で上がってきた有毒ガスを含んだ煙はこの建物に至り、3名の方が亡くなりました。当時の画像には煙が濛々と立ち上がっている様子が写っています。

https://miro.medium.com/v2/resize:fit:1400/format:webp/1*pc7R-9tctFCQ3gvmNT3f1g.jpeg

そしてこのAlpinCenterの建物は今も現役で使用されていて、休憩に何度も使ってきた場所です。何も知らずに。

2021年11月12日の写真

今年、変わったのは隣にあった木造の山小屋がなくなり新しい建物に変わっていたことですが、AlpinCenterは今も使われています(多分、内部はややり直しされている様子)。

2025年10月12日訪問時の写真。他の方が撮影された2011年の写真と見比べると、建物の右側が少し構造が変わっているようにも見える。

正直、自分が遊び場所として選んで楽しく思い出を作ってきた場所でこのような事故があったことを知らなかったことを恥じました。最初はびっくりしたというか、困惑したというか、当時の記事や解説を読み漁りました。そして、気持ちの整理がつかない気持ちになりました。本当に全く知らなかった。この先も遊びに行っていいのだろうか。遊ぶ気持ちになるのだろうか。ゲレンデで遊ぶ多数の人たちはこの事故のことを知っているのだろうか。

そして、このケーブルカーの出発地点だった麓の場所には追悼施設があるとの情報を見つけました。今まで何度も通っている場所に追悼施設があるなんて、目に入ったこともなかった。行ってみなければならないと思い、一歩を踏み出した2025年11月22日。事故から25年と11日が経過した日でした。


強い寒波が訪れ、前日までに20−30 cmの積雪がありました。朝の気温は-17度。Kitzsteinhornでは、10月に訪問した時よりもオープンしたコースも増えましたが、他のスキー場はオープンしていません。それゆえ、Kitzsteinhornは大混雑です。駐車場に入る車の列で朝から一般道は渋滞しています。

駐車場は激混みの詰め詰め状態でした。ゴンドラも大混雑です。25年前のあの日、ここからケーブルカーに乗り込んだ人たちは、今の私ちと同じように混んだ車内で登った先にある雪のゲレンデに立つ期待に胸を弾ませ、カービングの心地よさを想像したり、イメージトレーニングをしていたのでしょうか。ゴンドラに乗りながら、かつてあったはずのケーブルカーの跡やトンネルの場所を探しましたが、今はもうわからなくなっていました。

幸運にも待っていたのは最高の雪質でした。

最高地点まで登って、山々にご挨拶をします。山には罪はない。氷河にも罪はない。しかし、ここで遊ぶ人に罪はない・・・と言い切れるだろうか。

下山して早速、Googlemapを頼りに慰霊碑(Gedenkstätte Gletscherbahn)を探します。

そのGedenkstätte Gletscherbahnは、私にとって思いもよらない場所にありました。それはPanoramabahn横、メインの駐車場、P1の脇。何度も出入りしている、この駐車場にあったのです。

駐車場P1の真ん中あたりから 左奥の建物がGedenkstätte Gletscherbahn
駐車場P1の出口に向かって

まさか、こんな場所にあったなんて。知らずに何度も何度も通り過ぎていたなんて。この場所の横を、友人らとケラケラ笑いながら通ったこともあったでしょう。標高が高いゲレンデで高山病で体調を崩した友人と一緒に降りてきて車で友人を休ませたのもこの駐車場でした。去年の10月初めに突然 Winter Seasonを開始したのを見つけて半信半疑でやってきて、良い雪に感動してキャッキャキャッキャと盛り上がっていた時もこの駐車場でした。何度も何度も通っていたのに、この建物が何なのか、知らなかったし調べることもしなかった(管理施設か何かだと思っていた)。亡くなった方々は、日本語の楽しそうな会話が聞こえてきてどう思っただろう。

Gedenkstätte Gletscherbahnの外観(P1側から)

24時間入って良いと書いてありましたので、中に入ってみることにしました。写真の通り、入り口まで、ちゃんと誰かが除雪をされています。扉を開くのを躊躇ったらいけない。息を整えずに中に入ります。

中に入ると各国語で書かれたパネルが目に入ります。当然ながら日本語もあります。11月の午後、薄暗くて少し怖さも感じましたが、中に足を踏み入れます。勇気を出さねば。知らなかった現実に向き合わなければ。

2000年11月11日のトンネル火災犠牲者155人の冥福を祈って

中に入って、一瞬で心が崩れました。25年経った今でも生花が置かれ、写真が貼られ、お供物や蝋燭が置かれ、常に人が訪れ、風化していない生々しさが衝撃でした。

知らなかった。

本当に知らなかった。

こんなに多くの人が犠牲になった事故があった場所で遊んでいたなんて知らなかった。

これより先には足を踏み入れられませんでした。10名の日本人の方のお名前を探せませんでした。

2025年11月23日のGedenkstätte Gletscherbahn内部の様子

ただただ、ご冥福をお祈りしてきました。

私もMölltaler Gletscher(メルタール氷河)で同じようなケーブルカーに乗ったことがありました。圧迫感があって、若干の閉所恐怖症感がある私は苦手な類でした。短いバージョンではWurzeralmにも一部がトンネルであるケーブルカーがあります。

ウィーンに戻ってからまた少し経って、記事を探していると今年も福島民友という新聞社が25年経った今も遺族の思いを報道されているのを見つけました。

日本から遠く離れたKitzsteinhorn、気軽に訪れることができる場所ではありません。もっと早く知っていたら、お花や日本食をお供えできる機会が何度もあったのに。あと何度、ここに来ることができるかわかりませんが、次に来るときにはもう一歩の勇気を持って、日本人10名の方のモニュメントをそれぞれを訪れたいと思います。

そしてもしも遺族のどなたかがこの書き込みを見つけられたら、その方の好きだったもの(オーストリアで買えるものだけになります&2026年夏までしかオーストリアに居ないかもしれませんが)教えていただければ、お供えしてきますので教えていただければと思います。

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