年末にNHKの「事件の涙」という番組で、「九州大学 ある研究者の死」が放送されました。年があけてから、何となく見てみようかと思い見てみました。自分の人生も紙一重のところにあって、思うことがたくさんありました。

今日の9時のニュースで、そのダイジェスト版がまた放送されていました。
この方は、中学生で父親を亡くし、自衛隊の訓練を受けながら防衛省の高校(こういうところでしょうか)に通い、21歳で大学に進学。きっと優秀で真面目な方だったのだと思います。それを思わすエピソードが、番組には多数出てきました。多少の脚色などあるかもしれないテレビ番組ではありますが、何か、画面から悔しさと無念が滲み出てくるようでした。
私は高校生で父親を亡くしましたが、母親が別の事業を行ってたこともあり、多少なりの変化はあったものの高校は奨学金をもらいつつ通いました。学資ローンは、解約されて父親の事業の清算に消えたことを知っていたので、希望する学部に落ちたことであっさり働く道を選びました。
東京に転任して、10年間一生懸命働いて、転職しようと思った時、転職先の多くの企業の中途採用の募集が「大卒以上」となっており応募資格すらないことに気づきました。ちょうどその頃、ふと、総武線の窓から見た「東京理科大学」の文字と、どこかでみかけた夜間(理学部第二部)の存在がすっと繋がり、1ヶ月後の願書の締め切りに提出し、試験を受けました。29歳で大学に入りました。高校卒業から10年も経てば、無機反応だって積分公式だって忘れています。高校の勉強からやり直しました。落ち込んだり、何のために?と考えたり、本当に山あり谷あり色々あったけれども、結果的にその道が大学院につながりました。仕事を辞めて33歳で入った大学院では、初めの2年で貯金を使い果たし(人間、急には生活を変えられないのです。)、奨学金を借りて生活していました。30歳を過ぎてのそれは、結構恥ずかしいものがありました。今年の目標は、奨学金の繰上げ返済です!
私には、自分が不幸だという認識は一切ありません。大人になって、多少なりとも一般常識を身につけてふと気づいたら、一般的な形態から逸脱していることに気づいた、という感じです。経歴を話すと、「大変だったね。」などと言われることがありますが、「はて?私は自由にやってまいりました。」と思っています。

この番組で取り上げられた方は、法学がご専門で、法学が大好きだったようです。けれども、
「学力や能力があってもそれ以上先に進もうと思った時には経済的な力が必要になるので、その能力を活かしきることは難しい」
知人に対して、そうおっしゃっていたそうです。大学を普通に高校を卒業した年齢で入らなかった時点で、レールから外れてしまう国です。この方も、ほんの数年とはいえ、そのレールから外れてしまっていて、他の人には普通に存在したチャンスすら手に入れられなかったのでしょう。そして、こだわりが、自分を追い込んで行った。でも、そのこだわりは、研究者にとって何よりも大事なことだとも思うのです。大切にしたい資質だと思うのです。

「資格試験などなんの意味もない。”唯一の人物”になってほしい。」
非常勤で受け持っていた最後の授業で、学生に対してそう話したのだそうです。私が紙一重で自分がその立場にならなかった幸運と、紙一重のところにあった不幸。この番組を見ると、本当に紙一重のほんの少しの違いなのにどうして、というもどかしさと、共感とが混ざった複雑な気持ちになります。
私は幸運に恵まれています。途中、絶望したり諦めかけたりもしたけれども、今は幸いにもウィーンという地で仕事を続けることができています。「唯一の人物」になるのは、相当難しいですが、チャンスを正しく活かせるように、歩んでいこうと思った次第です。おっさんだから疲れがちなんですけど。
