Stubai Glacier(Stubaier Gletscher)でスキー&Innsbruckでクリスマスマーケットの翌日、この日は夕方の便でウィーンに戻るので遠くのスキー場には行かず、数年前の夏前に行ったInnsbruckの町から上がって行くことができる山に行ってみることにしました。ホテルに荷物を預け、町のはずれにあるケーブルカー乗り場に向かおうと歩いていると、
これです。
この景色です。
なんと美しい・・・・
この景色が見たくて、Innsbruckに来たのです。
Stubai Glacier(Stubaier Gletscher)でスキー&Innsbruckでクリスマスマーケットの翌日、この日は夕方の便でウィーンに戻るので遠くのスキー場には行かず、数年前の夏前に行ったInnsbruckの町から上がって行くことができる山に行ってみることにしました。ホテルに荷物を預け、町のはずれにあるケーブルカー乗り場に向かおうと歩いていると、
これです。
この景色です。
なんと美しい・・・・
この景色が見たくて、Innsbruckに来たのです。
Stubai Glacier(Stubaier Gletscher)でスキーから戻り、食事はクリスマスマーケットで済ますつもりでInnsbruckの町のクリスマスマーケット巡りを始めます。とりあえずは、マリア・テレジア通り(Maria-Theresien-Strasse)と黄金の小屋根(Goldenen Dachl)前のマーケット。特に黄金の小屋根(Goldenen Dachl)前のマーケットがとっても繁盛していました。スリに注意と、50ユーロだけを握りしめて参りました。
12月のある日、Stubai Glacier(Stubaier Gletscher)に行ってみることにしました。Innsbruckからバスで行けることを知り、フライトを調べてみるとかなりお安くAustrian Airで行けることがわかったのです。金曜日、職場を出て夜のフライトでInnsbruckに飛びました。超小型、しかしギリギリジェット機です。


アカデミアの方は、国際会議などがだいたい夏の終わりくらいまでが多いので、クリスマス時期に狙ったようにヨーロッパに来ることはあまりないようです。しかし、今年は珍しくも、2日だけの滞在だった元ボスを含め、数組のアカデミックな来訪者の方々をクリスマスマーケット時期にお迎えしました。
今回のウィーンへの帰国(?)は、福岡→羽田→ウィーンというANAのウィーン直行便(ANA206)を利用するものです。羽田で時間があったので、空港の中で最後の海鮮丼。
11月末、東京経由で博多を訪問しました。博多は、大阪時代の1998−2000年ごろでしょうか、出張で2時間ほどの滞在を2回したっきりです。駅前のビルの訪問先に行って会議が終わったら帰るだけの訪問だったため、街を歩いたことはありませんでした。
東京滞在の最後は、旧職場近くの商店街の王将でしっかり天津飯(塩味、旧関西風)を食べての出発です。羽田空港はクリスマスムードでした。福岡行きの便に搭乗前、ゲート付近をうろうろとしていると、新幹線のホームのようにお弁当やビールが売られていることに気づきました。私は、国内の移動に飛行機を使った経験がほとんどありません。東名阪の移動は新幹線、あとは車です。飛行機内でも新幹線のようにお弁当を食べてもいいのか、思わず、売店のおばちゃんに聞いてしまいました。
「みなさんそうされていますよ。新幹線と同じですよ。客室乗務員さんも気づいたらお茶を持ってきてくれたりしますよ。」
とのこと。へええ。



随分と前の話になりますが、秋にHallstatt(ハルシュタット)に行ってきました。場所は、Salzburgに程近い山沿いの湖が散らばる一帯です。冬になるとスキー場になるところも多いこの場所、最近はOverturismで有名になりました。オーストリアという小さな国の、山岳地帯の小さな街が、UNESCOの世界遺産になり有名になり、さらに韓国だか中国だかのテレビで有名になり、それから私が聞いたのはSamsunだかの携帯のプリインストールされた壁紙に使われたというのも聞きました。・・・などなど様々な理由により有名になってしまい、観光客が殺到することになったのです。
そんなわけなので、私も行ってみたいなーと思っていたのですが、夏場は大変そうなので秋になってからと思い、11月になってから行ってみました。
ウィーンから、2時間ちょっとのドライブです。朝、ウィーンを出発して、途中、大きな湖の脇を通りかかりました。

先日、いつものようにふらふらとシュテファン大聖堂に吸い込まれてきました。すると、何やら変な「ずううううううーーーん」という重低音が続いた後に何やら素敵なパイプオルガンの音が鳴り出しました。あら、修理が終わったのかしら?
と、いうのもこの教会のGiant Organと呼ばれる正面入り口の真上にあるパイプオルガンは、私が知る限りずっと工事中でした。礼拝でパイプオルガンが鳴っている時は、前方の祭壇(?)の方から音がしていますので別のパイプオルガンがあってそちらが使われている様子でした。
ハロウィンの無いこの国では、既に街がクリスマスに向かっています。点灯式は11月の中頃ですが、街中の飾り付けも始まりました。なんか壁によじ登ってる人がいる・・・と思ったら飾り付けの人だったりします。
そんなウィーンの名物(?)といえば、馬車。街中のあちこちに走っています。中心部はほとんど車が入れなくなっているので馬車の天国。カッタカッタいいながらのんびり走っています。この風景だけ見たらいつの時代かよくわかりません。
この馬車、結構遠方まで走っていく長時間コースもあるみたいで、「こんなところに馬車がいる!」ということもしばしばあります。片側1車線(対向2車線)の道では、自動車が馬車を追い抜いてはいけないようで、延々と馬車の後ろをみんなでノーロノーロと走ることもあります。
ウィーンのあちこちで見られる体重計。20セントで、街中で体重を測定することができます。
なんでなんだ・・・
一度見つけて気になり始めるとあちこちに存在するこの体重計に不安すら覚えるようになります。もちろん、一度も使っている人を見たことがありません。
なんなんだ・・・

ウィーンを訪れてくださった恩師先生と一緒に、日曜日に電車でBudapestを訪れてきました。Budapestは、これで3回目。1回目はハンガリー人の先生の帰省に合わせて一泊。2回目、3回目の今回はウィーンからの日帰りです。
10月の末、パリに3ヶ月間ご滞在中の、私が学部時代にお世話になった化学の先生であり、研究者として生きることの厳しさや面白さを教えてくれた恩人であり、今や飲み友達の先生が週末を利用してウィーンに遊びにきてくれました。日本の大学にいながら、1年間のサバティカルを取得し、授業義務の解除、自由な研究時間を過ごされていたようです。もちろん、自分のラボの学生さんの研究の面倒は見られていたと思いますが、権利としてあるものをしっかり有効利用する強さを、今回は教えていただきました。

きちんと習ったことはないのですが、油絵を描くのが好きでした。父親もそういう趣味だったそうですが、私が中学生になる前に全部捨てられちゃったので、どんな絵を書いていたのかは見たことがないのが残念です。かなりの枚数あったそうです。
しかし、東京に暮らしていた頃は猫が居たので油絵がなかなか難しい。(猫が邪魔したり倒したりしてくれるので)そこで、ボールペン画での水彩に移行しました。思いついた時にしか書かないので、大した数はありません。集中できないといい加減に放り出したりして、タッチもバラバラです。

白き月かげ
森に照り
枝に声あり
葉ずれして
おお、愛人よ聴きたまえ
そこひなき鏡となりて
池水は映すかな
枝に来て風の泣く
黒き柳の姿をば
夢みんいざや二人して
やさしくも深き心のなごやかさ
月の光に照り映ゆる
空より降ると
見ゆるかな
ああ、この良夜を如何せん
La lune blanche – Paul Verlaine
と書いたのはヴェルレーヌです。音楽をつけたのはフォーレです。
先日、Santa Feにて、ホテルのチェックイン待ちで街を一周している時に芸術家のバザーを見つけました。
Karlsplatzの裏あたり、道路が複雑に交差するあたりに大きなモニュメントが立っています。よくジョギングで通る道です。休みの日の昼間に通ると、どうもロシア系の人が多く、みんな写真を撮っています。よく見るとロシア語っぽい文字も見えます。
父親の残したモレスキンの手帳にあるお店で、週末の夜遅くに食事とお酒を楽しむという一編がとっても短い数ページの漫画です。
今時は、ブログやTwitterやFacebookで電子的に残っているものを簡単にみることができますが、昔は紙で残すものしかありませんでした。手帳にグルメの記録。それを辿る娘。私もそんなものが欲しいなと思います。今の時代に父親が生きていて父親の残した文章や作品や記録を眺めることができたら、どんなに面白かっただろうなと思います。

今回の出張では、Chicago O’Hare International Airport (ORD)を使いました。それはそれは大きな空港でした。UnitedとAmericanの本拠地で、滑走路はなんと7本。ターミナルは1,2,3,5の4つ(4は欠番?)。ターミナル5が国際線で、ウィーンからの便はこちらに到着後、国内線に乗り換える必要があります。

「直線などいらない。」
と、言ったかどうかは知りませんが、100の水という名の芸術家フンデルトヴァッサー。直線が極力存在しない奇妙な建物のデザインで有名です。大阪にもあるようです。ここは、そのフンデルトヴァッサーの工房だったところを自らの美術館に作り変えた場所で、カフェやおみやげ物屋さんもあります。今年の春、寒空の中、たまたま同じ電車に乗ったフレンチ上司に「おいしいレストラン」を聞いてしまったが故に、時間を食ってしまい、歩いてきたら既に閉まっていたカフェ・・・。今日はこちらにリベンジに行くことができました。かわいい建物に、はしゃぐおっさん4名。
Santa Feに行ってきました。Santa Feと言えば、宮沢りえが全てをさらけ出した篠山紀信のあの写真集・・・。日本人が集まると自然に湧き出るこの話題。最近の若い人は、Santa Feと言っても宮沢りえと言っても通じないのだそうです。ちなみに、おっさんには誰からも撮影オファーはありませんでした。残念です。
小慣れた空港おじさんになりたい。
そんな想いを胸に、早朝のバスに乗りアルバカーキ空港(通称アルパカ)に向かいます。1時間違いの便に乗る方と一緒のバスで来て、セキュリティを通ります。
