話題になっていたのでご飯を食べながら斜め読みしていたのですが、
ネットによる公開討論会”独創的研究とは” 吉村 昭彦、独創的な研究とは何か(2000/09/11)(#1、本庶 佑氏への返答)http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/molonc/www/old/immune/OriginalityYoshimura2.html
ネットによる公開討論会”独創的研究とは” 1〕本庶 佑「独創的研究とは何か」(2000/09/08) http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/molonc/www/old/immune/OriginalityHonjo1.html
私の心に棘のようにぐぐぐっとひっかかってきたのはこの公開討論の中にあります、「喧々諤々の論議を」というところです。若者よりは少しあって、年上の方からするとまだひよっこな私の経験からしますと、「喧々諤々の論議を」という言葉を発するのは、たいていの場合において大御所の先生であり、全く喧々諤々の論議などできません。笑
この「喧々諤々の論議を」という言葉を使う人が、何故か主に偉い人であり、とても喧々諤々の論議ができるような雰囲気にはならないのにも関わらず言われることが多いような気がするのは、私だけの気のせいではないはずです。ほら、この記事を書かれている方もノーベル賞を受賞されるような先生ですよ。みなさん、お心当たりはありませんか。先生、そんなこと言いいながら、僕らが本気で言いたいことを言って議論を始めたら、突然怒り出したり上から否定してくるじゃないですか・・・。なんてこと。
私が何を言いのか、ここではっきりと申し上げましょう。
「喧々諤々の論議を」という意味の言葉は、英語にもあるのかどうか?それを疑問に思ったのです。そして!!!Googleで!!!!「喧々諤々の論議 英語」と!!!!検索したのです!!!!!

“Discussion of Ken Ken jerky” って何・・・

「喧々諤々」って議論にかかる枕詞として完全に陳腐化していますよね。古代ギリシャ哲学者の議論だって、本物の現代サイエンティストの議論だって、口角泡を飛ばすことって少なくて、もっと爬虫類的なんじゃないかと。プロパガンダを兼ねた政治家の議論(パフォーマンス)と一緒くたになってる。歴史好きの私としては、ヨーロッパ中世の神学論争が喧々諤々だったか爬虫類的だったか、じつは興味のあるところです。
gonneko先生、今は神学論争って言ったら現実から遊離した実りのない議論の代名詞みたいに使われちゃいますが・・・。盛り上がっていた中世の当時は、中央では粛々と爬虫類的に、中央から少し離れていくにつれ徐々に喧々諤々な論争になっていくような図式を想像します。私は、日本の安保闘争が喧々諤々だったのか気になります。いつも思うのですが、私が今、安保闘争の当時にタイムスリップしたとしても学生の演説も機関紙に書いてあることも全く理解できない自信があります・・・。