ウィーンのつまずきの石(Stolpersteine)

皆さんが帰られてすっかり静かなウィーンとなりました。その後、天気もちょくちょくぐずついています。今朝は起きたら大雨でしたので、二度寝しました。

改元の騒ぎをニュースで見て、カウントダウンイベントをしたりディスコで踊ったり盆踊りしたり何も見えない皇居に行ったり飛行機から初日の出を見たり、どうやって祝ったらいいかわからない人たちが好き勝手にやっているのをウィーンから興味深く見ていました。これぞ、盆と正月が同時に来たってやつだ。平和で大変良いと思いました。私はそんなよくわからない日本国が大好きです。ちょっと離れちゃったけどね。

今日はちょっと以前にフレンチ上司(?)から教えてもらってから書きたいと思っていたことの端だけ書きたいと思います。東京から友人が遊びにきてくれていた時、たまたま帰宅するフレンチ上司(?)と駅で出会いました。私たちが立ち寄ろうと思っていたカフェへ行く道が、フレンチ上司(?)の降りる駅と同じだったので、何の気なしに「この駅の近くに美味しいレストランとかある?」と聞いたが最後、お話好きのフランス人は2件ほどのレストランの前まで連れて行ってくれました。そのうちの1件がグルジア(現ジョージア)料理のお店で、翌日に友人と行ってみるととっても美味しかったです。隣には有名なラーメン店もあります。

レストランを紹介してもらって、「じゃ!」と別れようとした時、「ちょっと見せたいものがあるんだけど、2、3分いいだろう?絶対興味深いと思うから、見て損はないから。」的なことを言って連れていってくれたのは、ユダヤ人地区です。シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)があった場所、現在の学校、今でも警察が警備していること、今も多くのユダヤ人の人が暮らしていること、などを説明してくれました。

 

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日曜日の朝、礼拝に向かう人たち

この地区のアパートを見に行ったことがあって、その時にも不動産屋のおばちゃんから、この辺りがユダヤ人地区であることは教えられ知っていました。しかし上司が教えてくれて初めて知ったのが、「つまづきの石」という真鍮のプレートです。上司がつまずく仕草をして”なんとかStone”だと言って一生懸命説明してくれました。その時はなんのこっちゃ?と思ったのですが、ドイツ語でStolpersteine(stolpern: つまづく steine:石)と呼ばれているようです。ドイツに暮らされたり観光されたことがある方はよくご存知かもしれません。私は、本当に初めてその存在を知りました。

この真鍮に記されているのは、この場所から連れ去られたユダヤ人の迫害の犠牲者の情報です。まさにこの真鍮が埋め込まれているこの場所から、

  • DEPORTIERT 1942 VON DRANCY NACH AUSCHWITZ
  • DEPORTIERT 1939 NACH NISKO IM HOLOCAUST ERMORDET

ドイツ語がわからなくてもAUSCHWITZやHOLOCAUSTなどの単語から何を示しているのか、だいたいのことは把握することができます。この場所からDEPORTIERT=TRANSPORTされたのです。上司がこのプレートについて教えてくれてから、ウィーンのあちこちで見かけることに気づきました。ユダヤ人地区のみならず、普段よく通る道の信号の手前、時々行くお店の前、本当にあちこちにあります。知らずに踏んで通っていたのです。

不勉強で常識を持ち合わせていない私です。手元にある本をからの抜粋ですが、第二次大戦よりもずっと前からウィーンにはかなり多くのユダヤ人が暮らしており、ドイツとの合邦の時点でのユダヤ教徒数は16万人以上。その中心地だったのが聖ペーター教会の裏あたりのその名もJudenplatz(ユーデンプラッツ)です。現在、この広場には、ホロコースト記念碑があります。

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写真中心奥の四角い建造物が記念碑

反ユダヤの運動は徐々に始まり、特にウィーン2区では多くのユダヤ系市民が路上や自宅から拉致され、舗装道路に書かれた文字を小さな歯ブラシで磨き消すように強要され(この様子をモチーフにした像がオペラの近くにある)、そして敵対者とみなされた主導的地位の人々が強制収容所に連行され、商店や企業は接収・没収され、国外追放などにより戦争の開始までに12万人以上のウィーンにいたユダヤ人がオーストリアを去りました。そして残ったユダヤ人は、移送されたり、強制収容所、もしくはホロコーストに送り込まれ大部分が命を失ったのだそうです。

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私の職場は国際色豊かなのは良いのですが、残念なことに、この国の人が大変少ないのです。ですので、いまだに私は、この国の人々がいかなる人々で、陽気なのか陰気なのかもよくわかりません。ましてや、歴史をどのように認識しているのか等は、知るすべもありません。手元にある本には、当時のこの国の人々はナチを歓迎したとも書かれていますし、ナチへの抵抗運動の証として今もシュテファン聖堂に残されている”05″の文字などの説明もあります。抵抗運動をした人たちも同様に収容所に送られています。どの国もがそうであったように、1つの側面だけではないのだと思います。日本にも戦争反対の人が居たように。簡単に話題にできるものではありませんが、この国の現在の人たちの言葉を、認識を、聞いてみたいです。私も日本について話したいことがあります。

戦争の遺品としてもう一つ。ウィーンには二つの高射砲台があります。高射砲台とは、wikipediaによると、”第二次世界大戦中にドイツ空軍が連合国の空襲から都市を防衛するために建築した鉄筋コンクリート製の巨大な高層防空施設”です。こちら、壊すに壊せないほど頑丈であるらしく、現在は中がなんと・・・水族館に!そして外壁には人工的な支点が埋め込まれ、クライミングウォールとなっており天気の良い日はクライミングしてる人がぶら下がっています。ウィーンの人々、逞しいですね。

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本を読んでいると、第二次大戦末期に燃えるシュテファン大聖堂の写真がありました。(ノートルダムと同様に主に木製の屋根が全焼、さらに鐘が落下、パイプオルガンもダメになった

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さらに1700年代、マリア・テレジアの頃の絵と思われるのですが、これめっちゃ見覚えあるーと思って写真を探して見たらソックリでした・・・。そのまんまやん・・・。でも、よーーーく見てください。絵の方には雨樋がない。

またその話に戻るのかよ!という声は聞こえません。

 

 

“ウィーンのつまずきの石(Stolpersteine)” への2件の返信

  1. ウィーンへ電車ではなくバスで入るようにした時だから今から十年くらい前からでしょうか、Morzinplaztで空港バスを降りて歩き出すと「ゲシュタポによる犠牲者の碑」が目に入るようになりました。でも私のドイツ語力では断片しかわからない。いまならスマホで撮りあとで辞書を頼りに読めば読めるのでしょうが、それはとても気が重いことです。

    1. gonneko先生、その碑はMorzinplaztにあるんですね。ここからアウシュビッツは比較的近いので、日本人でも多くの人が訪問しています。とてもきちんとした説明をされる日本人のガイドさんがいるそうです。おすすめされるのですが、いく決心がつきません。訪れる価値があるのはわかっているのですが、他国の歴史に向き合う前に自国の歴史に向き合うべきじゃないかと思ってしまうのもあります。それからやっぱり何よりも、怖いんです。

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